結局のところ、美しさは人の主観で決められる曖昧なもの

今年は言葉を意識すると決めたが、具体的にはどんな言葉を意識するのか…。

私が意識する言葉は「美しい言葉」。

美しい言葉を意識して使うと決めてから、普段使っている言葉の
何が美しく何がそうでないのかを考えた。

例えば
「めっちゃ◯◯」の「めっちゃ」。

SNSで使おうとしてふと止まる。
美しい言葉を意識するのであれば、やはり使うのは
「めっちゃ」ではなく「すごく」ではないのか、、、と。

最初のうちはそこを気をつけていたが、どうも気持ちが乗っているように感じない。
表現として、私の感情を言葉にするなら「めっちゃ」の方が合ってる。(と思う)

そんな事を考えていたって仕方がない。
そもそも「美しい」とは何だろうという疑問まで芽生え、辞書で調べてみた。

【美しい】《形》ものの色・形・音色などがよい感じである。きれいである。
                            ー学研 現代新国語辞書 改訂第六版 小型版ーより引用

よい感じ。

よい感じって、どんな感じ??

辞書には私の求めていた答えは見つからなかった。。。

そういえば、、、
私は学生の頃、吹奏楽部に所属していた。
夏のコンクールでは最優秀賞や金賞・銀賞と順位はついていたが、明確な点数がでるわけではなかった。

そもそも芸術的的なものに明確に点数をつけるのは難しいと思う。
感性とは人それぞれのもの。
みんながみんな同じ環境で同じ経験をしている訳ではない。
違うからこそ、
「こういう解釈があるのか」
と、気づきを得ることができる。
感動もまた然り。

結局のところ、美しさとはそういうことなのだ。

ちなみに私は自転車のことを、何故だかわからないが
「チャリンコ」もしくは「チャリ」とは言えない。

これもまた、そういうことなのだ。

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